やりたいことはToDoリストをつくらない
具体的な工程管理としてのチェックリストは作ってもいいかもしれませんが、「お絵かきをしてアップする」みたいなToDoリストは作ることをやめます。
お絵かきがしたいと思ったときにすればいいのであって、強制されてやるものではありません。それをやろうがやるまいがどうでもいいことではあるのです。「やりたい」と思ってやるから意味があるのであって、やらなくてはいけないリストの消しこみ項目の1つになってしまったら意味が無いのです。
「あーもう!今日は帰ったらすぐにお絵かきするぞー!」
それでこそ意味があるのです。
やりたいと感じたときの気持ちを思い出す
やりたいときだけやるという趣味の領域で終わらせるものであれば、ほったらかしてもいいと思うのですが、それを使ってなにごとかを成し遂げたいと思ったときは、ちょっと工夫をしないといけません。
ある目標があって、それを考えるとワクワクするのだけど、そこに至るまでにはトレーニングもしなくてはいけないわけです。
スキーは楽しいけど、1本滑ってヘトヘトになるのが悔しいから、せめて午前中滑り続けても平気なくらいの体力がほしいと思ってジョギングをするなんていうときがいい例かもしれません。
走りたいかといわれれば、走ることが目的ではないので、走りたくはないわけです。だけど、札幌に住んでいるわけでもないので、会社帰りにパッとサッとスキーに出かけたりはできないのです。それゆえに貴重なスキーの時間を楽しみたいのでジョギングが必要なのです。
この、最初の気持ちを忘れて、「毎日必ず走ること」というToDoリストだけが存在感を出しているようではいけないのです。熱い気持ち(?)を思い出さなくてはいけません。それは、トイレなどに標語のように貼っておいてもいいかもしれません。とにかくこれは経年劣化するものなので喚起する必要があるのです。
瞑想などの心の調律は「やらなくてはいけないこと」
じゃあ、何でもかんでもやりたくなったらやればいいのかというとそうもいきません。それは適当というものです。だいたい、あっちゃこっちゃと食い散らかして終わることになります。
どこかでしめないと「やりたいと感じたときの気持ちを思い出す」なんてことはできません。
そのために、自分を見つめ自分を知るという行為が欠かせないのです。自分の気持ち良い所を探って実行するのと、本能の赴くままに好き放題やるのとでは、方向が全く違います。
自分を高めることと外に依存することの違いが分からないようでは、人生の迷子になってしまうのです。
知らない間に下り坂を歩いて行ってしまわないように、自分の状況と状態をチェックする行動は「やらなくてはいけないこと」として気をつけておく必要があると思っています。それ自体が億劫になった時点で黄色信号だともいえます。