ひと月ほど前、父は自分の足で病院に行って脳梗塞で入院をしました。それから10日ほどで退院したものの、昨日自宅で倒れているところを様子を見に来た父の会社の方が見つけ、緊急搬送されたとのことです。
今回はマズい
貧血とはいうものの、消化器からの大量出血による貧血で、およその病気は想像がつくというものです。
母は2年頑張りましたが、父はどうでしょうか。脳梗塞もあるので最低週一の介護(というと少し重すぎますかね。介助あたりが適当でしょうか。)が必須だと考えています。
これはなかなか、です。
雑念がよぎる
いつかは来る父の死ですし、喪主は当然私になるわけですが、それは亡くなってから考えればいいことです。
そうはいっても・・・というところですが、仮に割り切ったとしても別の雑念が頭をもたげてきます。
「父の場合は私がいるからいいけれども、私は人間の尊厳を保って死ぬことができるのだろうか。」
私は独身で、妹がいるものの嫁ぎ先から飛行機や新幹線を使っても結構かかります。最適解はしっかりお金をためて介護付有料老人ホームに入ることでしょう。
人らしく死ぬために、結構なコストがかかる時代になったものです。
会社には話を通してある
伊達にうつ病を克服してはおりません。うつ病を通して、人の頼り方は勉強したので、すでに話はつけてあります。
上長には、介助で疲れて欠勤しても、「そこはもうお互い様(誰もが通る道)ということで、気にせず休んでほしい」と言われています。「(父と私が)共倒れになってしまうのは絶対に避けるべき」という温かいお言葉も頂戴しております。
父の容態は刻々と変わるとは思いますが、このあたりまで覚悟と根回しをしておけば、厳しいもののなんとかなるでしょう。
やるべきことをやる
私は信心深いほうですが、ただただミラクルを信じておすがりするのではなく、自分たちにできる手はずを整えた上で、回復を願うのが筋だと思っています。
それをあらわした私の考えた私の座右の銘があります。
「為せば成る。その後はなるようになる。」
それこそ「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょうか。やれることをやったら、あとはもう仏様にお任せするしかないのです。その結果についてはもうどうでもいいのです。
厄年なんてレベルじゃない
長年のうつ病が寛解したと思ったら、母がガンにかかりました。
引き抜きで転職したら給料未払いで会社が倒産しました。
古巣に再就職したと思ったら母が亡くなりました。
母の納骨も終わり、赤字家計を改善しようと頑張り始めたら父が倒れました。
絶妙と言えるレベルで、しかし息もつかせぬ間で、私に課題を突きつけてきます。
ビシバシ、状態に合わせて鍛えられている感じがしています。そう思えることはとても幸せなことだと思っています。
私はタフになりました。