別にめちゃくちゃおもしろいことがあったわけではない。物理でよじれていると感じたのだ。
よじれているときではなく、よじれが治っていくときが絶望的な痛みでなのである。気絶しそうになる。滝のように冷や汗が出る。
そういうことが昨日の夜にあった。
思い当たることといえば、食事を変えたことである。もちろん、良くしたのだ。
主菜には焼き魚にし、大根おろしを添え、副菜は自家製の漬け物を用意した。
ごはんは雑穀米で、味噌汁はだしをとり田舎味噌をといた。具は自家製の乾燥野菜などである。
つまり、これは「好転反応」だと思っている。
この言葉は胡散臭いところで使われることが多いため、この言葉自体に少しネガティブな雰囲気を帯びてしまっているが、その言葉通りの意味である。
脱臼だってはめるときは痛いのだし、正常な位置に一気に戻る場合は痛みも出よう。
食事はかなり丁寧に作っている自覚はある。かなり、愛情を込めている。
いままでは自分の食べるものだからと疎かにしていたところがあったが、自分の体というのは自分のものという考え方もあるけれど、与えられたものという視点もある。
そうならば、大切に使っていかなくてはいけないという気持ちになってきたのだ。
いま、いわゆるダイエットを始めたところではあるが、これは自分が高いパフォーマンスを出せるように、心身ともに鍛え上げるということなのだ。
とはいえ、お腹が痛くて悶ているときは、「たすけて」という気持ちだったし、「ごめんなさい」という気持ちにもなった。お灸を据えられているとは思った。
もっと、謙虚に地道に、みんなのために頑張るという気持ちを持たなくてはいけないね。