久しぶりのブログの投稿である。いくら垂れ流しの雑感とはいえども、定期的に放り出せなければ体にも悪いだろう。
さて掲題の「体をどのくらい鍛えるのが適切なのか?」であるが、結論から言えば、「知らんがな」である。
人の体は多種多様であり、好みもストレス反応もそれぞれである。食べてきたものも違うし、腸内環境も違えば、体の可動域も違う。動きのクセも違うし、生活サイクルも違えば、やっている仕事も違う。
そういった人々に対して、ある一定のフィルターを使って、適切な負荷というものを導き出そうとする試みは必要かもしれないが、そこからはじき出された数字は統計学上のものであり、自分に適した数字とは言えない。
例えばプッシュアップ10回1セットとして3セットといっても、フォームもそれぞれである。
また、「上がらなくなるまで」といっても、例えば運動が久しぶりで体を動かす神経がうまく開通していない場合、筋肉をうまく使うことができずに偏った部分だけに過剰な負荷をかけてしまって、翌日に動けなくなることもある。
要するに、お試し体験で未熟なトレーナーがついていたせいで、怪我をしてしまうこともあるわけだ。
また、人によって「体作り」の意味も違ってくる。
最速で筋肥大を目指したい人もいるだろうが、自分のやっている競技で成果を出せるようにトレーニングをする人もいる。あるいは、姿勢を改善するために筋肉をつけようとする人もいる。
そういったことを考えると、いろいろ模索する姿勢が必要であるし、効果測定もしたほうが良いだろうとは思うが、肩ひじ張って仕事のように成果を追い求める姿勢も、個人的にはどうなのだろうかと思う。
結局、何がいいたいのか?
自分は楽しく長く体作りを続けて、そこそこに見せられるランニングや水泳に強い体を目指したいと思っているが、仕事や健康に悪い影響を与えることはしたくないし、できれば、運動を起点としてうまく回っていくような取り組みをしたい。
ただ、ランニングや水泳が競技である以上、健康よりも記録にこだわる場面もあっていいと思う。
そもそもなんのための健康という話もある。健康のための人生ではなく、実りある人生にするための健康であると私は思っている。
いままで、ほどほどに運動はしてきたつもりだが、おそらく、自分が想像している以上に体を使わないと不調になるのではないかと感じている。
1日1時間、10km弱を走ったところで、そんなものは1000年前の人間にはただの生活行動であろうと思う。「鍛えているぜ」と調子に乗るにはおそまつなレベルであろう。
だから、「こんなものは普通に当たり前のことであって、自慢したり、調子に乗ったりするようなことではないのだ」という戒めはあってもいいだろう。そもそも、生活の一分になっていたり、楽しかったりすれば、そういった気持は起きてこないものだ。
このあたりは、毎日の勉強などにも言えることである。
運動をトリガーとして、生活態度、習慣、そして人生の流れを変えていければいいと思っている。