夜日記「一汁一菜が気になっている」

オペラシティより。今日撮った写真ではない。

ここのところちょっと調子が上がらない感じがしている。

もう少し、睡眠時間をとらないとボロボロと崩れていくので、今日はこれを書いたら風呂に入ってねてしまおうと考えている。8時間程度の睡眠が確保できれば、まずは安心。

さて、Amazonの最後のアンリミ(Kindleの読み放題)を楽しんでいる中、一汁一菜の本を読む機会があった。

言わんとしていることは分かるが、なんというか、非科学的なところが散見され、感情論がちょっと強いのと、粗食の達人であっても人生の達人ではないなと感じた。

「あれやっちゃダメ、これしたら駄目、こんなことするなんてもってのほか」という具合で、些細な事でも禁止してくるし、こんな気持ちだとごはんが楽しくないだろうなとも思う。(IHが駄目、電子レンジが駄目と小うるさい。スーパーで野菜を買うなとまでいう。)

ちょっと皮肉なのが、この方の伴侶は美食家で、ガンを契機に6年粗食をしたが、ガンが消えたら美食に戻ったという。そして結局ガンで亡くなったとのことだ。

その人にとっては食べることが楽しみであり、それができないのなら死んだほうがましというわけで、それを地で行ったのは、尊敬できる。これはこれで、しっかり人生を楽しんだのではないか。

脱線した。一汁一菜というアプローチは悪くはないので、これを取り入れつつ、無理をせずにバランスをとりたいところである。

そもそも玄米を基本に据えた自作のお弁当メインの食生活なので、外食を減らして、肉を減らしていくぐらいだと思う。旬の野菜は安いし美味しいので、もともと気にはしている。

生きていくということは、ごはんだけでもなければ、運動だけでもない。仕事もやっていくし、気持ちの持ちようも重要な要素である。

充実した生活というのは、なんとも難しく、それでありながら基本という不思議なものであることよ。

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