ウツからの回復を目指してからというもの、ずっと飛躍のときを夢見てきたのだが、最近になって、ようやく、そんなものはないのだと気がついた。
もちろん、劇的に改善するとか、生まれ変わったようになるとかいうことは起きないと知っていたけれども、こんな遅々とした歩みしかないとも思っていなかったのである。
もうちょっと、こう、運動を始めた頃のような「レースするたびに自己ベスト」みたいな波があると思っていたのだ。
生活リズムが整って、歯車がうまく噛み合うような感じが、いつか来るものだと思っていた。
でも、そんなものは来なかった。少なくともまだ来ていない。20年レベルで来ていない。
当然のことながら、進歩していないわけではない。成長していないわけではない。
毎日書き綴っているノートがあるが、おそらく、昔のものはひどいものだろう。恐ろしくて、いまでもまだ振り返ることができないでいる。目を覆うような不平不満や愚痴ばかりであろう。気持ちを吐き出すものに蓋をしても意味がないし、なにも書けなくなるので、そこは素直にさらけ出してきたのだ。
いまは本当にそこに不平不満や愚痴などは出てこない。怒りの感情の高ぶりもない。
そもそも、効果測定ということでずっと書き綴り続けているのも大したものである(見直していないので効果測定にはなっていないが)。箱いっぱいにノートが溜まっていて、何冊あるかは分からない。
日々の成長というのは本当に分からないものである。月単位でも分からない。年単位でやっと分かるかどうか・・・。
ひとつずつコツコツと積み重ねるようなものであれば、意外と分かるものだが、そういう感じではない。日々を生きている当人としては、本当に一進一退なのだ。
毎日成長している感じはないし、年単位でもよくわからない。けれど10年前よりは確実に良くなっている。
なにかが噛み合って、カチッとハマる・・・みたいなことがおよそ起きない。もしそれがあるとしたら、それは大悟とか解脱という言葉になるのではないだろうか。
それこそ、霊道が開いて声が聞こえてきたり、霊が見えたり、そういうことである。
それ以外は、本当にプランターの土を耕している感じで、出てきている植物の育ち方を見て、「ああ、まずい。酸性に偏ってきているから枯れてきちゃっている。」なんて、慌てて肥料入れたり、水を上げすぎて根腐れ起こしたり・・・。
そう、植物を育てている感じというより、土を育てている感じなのである。
植物がバーンと育てば、「土作りはうまくいっているかな」とは思うのだけれど、プランターという小さい器なので、安定はしないのである。プランターもなかなか大きくすることができないもので、「耕せるような畑だったら」と夢見てもなかなか難しい。
とにかく、コツコツ。
固めているそばから反対側が崩れて来たりするけれど、めげずに固めていくのが、人格形成なのだろう。
ウツのときは、普通というものが漠然とあると思っていたけれど、そんな枠というか囲いというか、レンジなんてない。むしろ、ひとまず安心と思っているときに、次が来る。
生きていくというのは人生修業であって、ヌルゲーなんてことはないのだ。もし、本気でヌルゲー気分で完走してしまったとしたら、経験値つめずに終わったということだから、その人生に意味がなかった可能性がある。それこそ大失敗だ。
「なかなかに厳しいよね」と思うくらいが、おそらくちょうどいいのだろう。