(駄文)低糖質に切り替えた後の食生活

こちらは「垂れ流しの雑感」になります。いわゆる「チラシの裏」というやつです。

朝っぱら活動をゆるりと始めて数日が経つが、たぶんブログは家事を片付けた後、読書をする前くらいにやったほうがいいのではないかと思っている。

朝イチすぎると、モーニングページと書くことがぶつかるし、思考もはっきりしていない。読書の後だと読書の内容が醸造されないままに漏れ出てきそうだ。

さて、そんなベストと思われるタイミングで書くブログであるが、関心事が朝活と食生活であるので、どうしてもその方面になる。

運動は習慣づけからやり直しの感じなので、運動をする枠が固まって、質を求めだしたあたりにポツポツと書くことになるだろう。

そういったわけで、今回は食生活のことについて書いていこう。

高タンパクの低糖質の食生活に切り替えたのだが、当然ながらごはんのストックの減りが遅い。そして、肉や魚や卵の消費が早い。それにつられて買い物の頻度が上がった。

多少、食費がかかるようになった気がする。しかし、それは大した問題ではない。ボディーメイクにはお金がかかるものなのだ。

ただ、そもそも食事の時間も内容も全く適当ではあったので、ビフォー・アフターが分からない。ビフォーはこの際分からなくていいから、現状把握をしようと食べた時間と食事内容をつけることにした。

気がつけば驚くほど米を食べていない。全く食べない日もある。一日におにぎりのタッパー3つを超えることはない。タッパー1つが130gで、ちょっと小さいおにぎりの量だ。

ポイントとしてはタンパク質は植物性のものを結構摂っているということと、タンパク質を摂るときは汁物が多いので、同時に野菜も結構摂っている。

体調はどうかというと、悪くなったとは思わない。便も出る。体臭も変わっていなさそうで、消化は追いついているようだ。

食べるもの自体はこの通り、なんというか特筆すべきものはない。ただ、食事の回数はバラバラである。

もっとも、なにをもって一食とするという基準が曖昧で、そのあたりは書籍を読んでいてもモヤモヤするところだ。

一日一食をうたっているのに、「朝は○○ドリンクで済ます」とドヤ顔している医師の書いた書籍もあるが、「それは質と量を考えたら一食だろう」と突っ込まざるを得ない。そのドリンクにはおにぎり1個程度のカロリーと糖質を含んでいるからだ。

医師は医師免許を持っているだけのことであって、人格者であることを保証されているわけでもないし、ものがかけるわけでもない。コミュ障がいてもおかしくない。

話がそれてしまうのでこれくらいにしておくが、受験当時に医師としての知識があったことと、現在の主張に信憑性があることとは直結しないことは、頭の隅においておきたい。

さて閑話休題、食事の回数の話である。食事の回数は2回~7回くらいとなっている。

食べたいときに空腹が回避できるくらいの量を食べている感じである。腹8分目どころか5分目くらいだ。

それからよく噛むようにしていて、時間もかけている。極端な咀嚼はしていないし、数も数えてはいないが、ゆっくり噛んで味の評価をするようにしている。「ああ、白菜の芯のほうは歯ごたえが少し残っていて、甘みもあって美味しいなあ」とかそういう具合だ。

それにともなって、丁寧につくるようにもなった。まずいごはんをゆっくり食べたくないという気持ちからだ。

食事に関しては、食欲に多少自制を加えているが、それだけである。あとは、いい感じに良いサイクルが回っているように思えるので、ずっと続けていけそうだ。

体の変化が傍からも分かるようになるまでには3ヶ月くらいかかるので、良いサイクルが回っていると感じられるぐらいの変化がちょうどよいだろう。一応、体重も体脂肪率も上昇傾向ではなくなってきた。

「心地よい空腹」とか言いたいところだが、運動をして空腹を感じるようだと、結構反動がくるものである。脂肪をメインのエネルギー源として使うにはトレーニングが必要なので、運動後は血糖値は下がっていくものだ。お腹の状態ではなく、この血糖値の下降傾向で空腹を感じるので、運動前後のお手当は必須と言える。

サーチュイン遺伝子の発現がどうこうとか色々あろうが、我慢がつらくて続かないようでは元も子もない。なんでも効率的にやろうとするのは結構だが、それは欲張りでもある。失敗しやすい。

繁忙期も近いことだし、たまには食べたいものを食べて、そのときの自分の体の様子を観察するのもよいだろう。ラーメンとチャーハンのセットだって、たまには食べていいのだ。世の中に美味しいものとして存在して、しかも頼める財力と環境があるのだから一番美味しいタイミングで食べて、なにを後ろめたいことがあろうか。

食べ物にあまり善悪をつけたりせず、ありがたくいただく気持ちが一番大切だと思う。食べ物にキレ狂っている人を見かけもするが、そっと離れることである。ありがたくも楽しい食事の時間が穢れてしまう。

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