一日一生という言葉があり、「要はいつ死んでも後悔しないことでしょ」とは思っていたけど、具体的にどういうマインドセットなのか、考えていないことに気がつきました。
どういう気持ちの状態で日々を送ると一日一生になるのかを考えてみました。
- 幸せはゴールではない
- 我慢をしてはいけない
- 本能のままではいけない
- 判断の軸が必要
- 判断をする時間が必要
もちろん、これは私なりに色々調べて考えて「私にはこういうアプローチが合っている・・・のではないか?」という独自規格であり、しかも推論の状態であるので、私以外には当てはまらないと思います。
どういう気持でいればいいのか
幸せはゴールではない
何かを成し遂げたあとに幸せになるのではなくて、努力をしている最中が既に幸せであることが前提です。苦悩の中でひりだす結果が「幸せ」ではなくて、努力が楽しくてしょうがないのが目指す姿です。
我慢をしてはいけない
何かを犠牲に何かを得るわけではありませんし、身体が欲するものは必要であるから欲しているのであって、無闇矢鱈と抑えつけてはいけません。眠りたいときは眠ればいいし、食べたいときは食べればいいのです。
努力というと印象はひとそれぞれになるかと思いますが、その勉強も練習も、やりたいからやっていて、やっている事自体が楽しい状況のが目指す姿です。
本能のままではいけない
生命維持という面だけみれば、本能のままでもいいと思います。例えば、飲み過ぎたらひどい二日酔いで、もう二度と飲むものかと思って自粛します。でも、しばらくするとまたうっかり飲み過ぎてしまいます。また、性に関してもそういうことがあるかもしれません。
こういう享楽的な部分は、生物学上は問題がない部分ですが、社会的には死んでしまうこともあるので、人間は社会的な動物で一人だけでは生きていけない社会を作り上げているということは、忘れないようにしないといけません。
判断の軸が必要
社会的な判断には知識や知恵が必要になります。なんとなく持っている世の中の常識は、いいものなのか悪いものなのか、そもそもその常識というのはどういう状況で形成されたもので・・・みたいなところは学んでいくしかありません。
また、よくありがちな事象やその解決方法・・・いわゆるFAQを学べば、時間の短縮になります。
それから、自分自身がどういう趣味嗜好をもっていて、世の中にはどういう仕事や習慣があって、世の中のどこに自分がうまくはまるのかということにも知識が必要です。
専門でやっていこうというものの知識はもちろん大切ですが、自分自身を知ることのほうが大切になります。
判断をする時間が必要
自分の気持ちや環境は刻々と変わっていくものなので、自分が何者でどういう状況に置かれているのかということは、把握しておく必要があります。
ただ、把握するときに、自分がフィールドプレイヤーの気持ちのままでは俯瞰した見方ができません。切り替えて心を落ち着ける時間がどうしても必要になります。一日一生の観点から考えると、毎日瞑想する時間をとるということになります。
どう一日を過ごすのか
何をどうしたらいいのかまで、落とし込まないと私はイメージができないので、もうちょっと掘り下げてみます。
- 楽しいことに変換する
- 朝ちゃんと起きる
- 自分投資にも限度がある
- しっかり息をする
- やりたいときにやる
- 禁止と強制を減らす
- 毎日モーニングノート
- 毎日読書
- 五感で感じる
- フィジカルもメンタルも
楽しいことに変換する
やりたくないことをやらないといけないときがありますが、「やりたくないこと」は主観なので、楽しいことに変えることが理屈の上ではできます。また、やることを小分けにしてしまって、まずはやり始めるように仕向けることもできます。
実は全貌が分からないから何となくやりたくないと思っているだけで、小分けにするという作業によって、流れや工数が見えて、大したことではなくなることもあります。
とにかく、気合と根性でやりたくないことを無理にやらないことです。工夫するという切り口をもつことです。
朝ちゃんと起きる
お布団でゴロゴロしていても疲れは抜けず、それどころか余計に疲れた感じになることが多いです。
また、夜に眠れなくなったりするので、朝はとりあえず起きて日の光をしっかり浴びることが安眠には有効のようです。眠たくなったらお昼寝をしてもいいので、休日でも、風邪を引いていても、まずは1回起きて1日を始めることです。
自分投資にも限度がある
自分投資にはリターンがあるからといって、何でもかんでも投資して、運転資金が無くなってしまっては元も子もありません。そして、何でもかんでも同時にはできません。ひとつやふたつくらいずつ、習慣化するまでになってから、次のことをはじめましょう。習慣化するまでは時間がかかるものです。
しっかり息をする
目の前のことにとらわれ過ぎると、前かがみ気味になり、呼吸が浅くなりがちです。呼吸が浅くなると、脳に酸素が行き渡らず、頭がぼーっとしてきます。時折、深呼吸などで、しっかり息を吐き切ってから、新鮮な空気を取り込みましょう。
やりたいときにやる
後回しでいいものはあとでやるというのとちょっと違います。やりたいものをやりたいときにやるのです。後回しありきではなくて、モチベーションありきです。どうしても今やらなくてはいけないことが発生したら、「楽しいことに変換」したり外堀を埋めたりします。
どうしても気合と根性でやることになってしまったら、自分で自分の頑張りを褒めてあげてください。そして、そのご褒美をその日のうちに与えて、自分が少し無理をしたということを認識することです。こういうことが続くようで、手も打てないのであれば、環境を変えることも必要です。
禁止と強制を減らす
「してはいけない」「ねばならない」を減らすというのは、その項目をしないということではなく、マインドセットを変えるということです。「お絵描きがうまくなるために練習をしなければならない」のではなくて、「お絵描き自体が楽しくてもっとうまく描きたいので練習するし、練習が楽しい」という具合に気の持ちようを変えてしまうのです。それを実施することによるポジティブな事象をすりこんでいくところがポイントです。
「宿題しないさい!」と言われたら「今からやろうと思っていたのに!」が発動するので、自主的に宿題を取り組んでいるふうにするということです。
毎日モーニングノート
言い方としては「モーニングページ」のほうがメジャーのようですが、私のイメージではページよりもノートなのでそう呼んでいます。
モーニングノートは瞑想と違って、何にとらわれているのかにフォーカスしていると思います。瞑想は、去来する思いにとらわれず、「こういうふうに今私は思ったな」と認識したらすぐ破棄する作業です。一方、モーニングノートは、思い浮かんだものをなんでも言語化するという作業になります。つまり雑念が浮かべば浮かぶほど、作業が捗ることになります。
毎日自分の状態をチェックして、方針を決めていくので、モーニングノートは大切です。
毎日読書
気持ちというのはぶれていくものなので、思い出すというか、律するというか、軌道修正をしていくために、何度も何度も摺りこんでいく必要があると思っています。つまり、ここでいう読書は専門書ではなくて、哲学書とか宗教書とかライフハックとかなんかそういう類いのものになります。
五感で感じる
この世に生きて、生きていることを愛おしく思うようになるには、「今ここに生きている」ということを感じる必要があります。風の匂い、雨の音、空気の冷たさ、お茶の渋み、空の青さ、事象のひとつひとつを味わう時間を持つことは、動物として必要なことだと思います。ごはんは特に味わったほうが良いと思います。
フィジカルもメンタルも
努力と根性で押すのもダメですが、楽しいからといって日頃運動をしていないのに大はしゃぎしたら翌日起き上がれなくなったりします。フィジカルもメンタルもバランスで、お互いに関係し合います。メンタルのケアもさることながら、フィジカルもケアが必要です。
気持ちの問題かと思ったら、血流が悪いせいだったということも普通にあります。そういった事象を知識としてもっておくことも必要で、そのための読書でもあります。