(駄文)いきなりは変わらないし変えない

こちらは「垂れ流しの雑感」になります。いわゆる「チラシの裏」というやつです。

こういうタイトルを引っ張り出すとき、たいていは、やらかしたときなのであるが、そういうわけではない。ご期待に添えず申し訳ない。

ちょっとした自制の心である。

人というのは、どうしても一足飛びに素晴らしくなろうとするいやしい生き物なのである。そんなことを正当化するようなフレーズは、いにしえのころから腐るほどある。

  • はじめまして!新しい自分!
  • 下からツルッとたまご肌!
  • 宿便がドバドバ!

こんな腐ったフレーズで充満している世の中である。

手っ取り早く成果を手に入れようとする愚者とそんな人たちを食い物にする金の亡者ばかりのように思えてしまう。少なくともWeb広告はそんなのばかりだ。

かといって、習慣が10割でもない。

そうはいっても、習慣は強調してもしすぎることはない世相ではあるので、ここでごちゃごちゃいう気はない。ただ「神様とか転生輪廻とか信じてないんだな」と思うばかりである。

そう、習慣は大事である。行動の成果そのものよりも習慣づけ自体に意味がある。

ジョギングの習慣をつけるのに、「まずはジョギングウエアで外に出てみる」というのはよく言われることだが、これは別に「そしたらちゃんと走ってくる」というのをメインに据えた考え方ではない。

ジョギングは初心者ほどきついものである。だから、ジョギング自体の障壁が高い。色々、考えてしまう。

だから、その手前である走り出す準備段階までを習慣づけるのである。

そもそも初心者なのだから、適切な運動強度なんてものが設定できるはずがない。状況によっては、その体では走らないほうが良いという可能性だってある。

さて、冒頭で自制の心といったからには、自分のことを書き連ねるわけなのだが、ジョギングのことではない。先日取り上げた朝活のことである。

朝活といっても何か新しいことを始めるわけではなく、夜にやっていたことを朝に持ってくるだけのことである。

より正確にいうと「夜にやろうとしてできなかったことを朝にまとめて片付けてしまう」という感じだ。明日の自分におまかせということである。

そのために早く寝る。ただ、それだけのことである。

朝活をしたからといって、新しいなにかができるわけでもなく、リスクとしてはプライベートの時間を頑張りすぎて、仕事ができなくなることもある。運動経験のない人の突然の朝ジョギングは、だいたいこれに終わる。

このリスクは結構大きい。

そのため、頭の片隅に「朝活は人生を素晴らしくするために始めたこと」ということをおいておきたい。もっといえば「より仕事ができるようになるため」といっても過言ではない。

仕事がうまくいって楽しくできるようになれば、それはなかなか素晴らしい人生だろう。

ゆめ、「仕事に侵食されたプライベート時間を取り戻すために頑張っている」などと思わないことだ。

仕事をより楽しくするために、朝活で基礎スキルを身につけたり体力をつけたりしていると考えれば、マイナスに働くことを抑えやすくなるだろう。

仕事は好きにならなければできるようにはなっていかないものだ。

職場や仕事に恨みを抱えて、見返すような気持ちで頑張る傾向は、ウツ状態にある人が持ちやすい感情だが、それではジリ貧であることに気がつこう。

お金を払って求められる技能(仕事スキル)を磨いていくというのが王道である。

これが、自制の心・・・というわけである。仕事から目を背けるために朝活をしていると足元をすくわれることを忘れてはならない。

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