言葉の力

あまりに大きなタイトルをあげてしまうと収拾がつかなくなるかもしれません。そうはいってもタイトルにあまり細かいことを書いてもなんだかピンと来ません。

「言葉の力」と題していますが、今回は自分の思っていることを言語化することの意義というものについて書き連ねようと思います。

壮大なタイトルからいきなり卑近な話になって恐縮なのですが、私はこのところ「モーニングページ」なるものを書いています。「このところ」というのは控えめすぎる言い方かもしれません。すでに96枚綴りのノートは6冊目になっています。

もっとも、「モーニングページ」といっても朝と夜に書いており、そのなにかの本にあった「モーニングページ」のように何でも書いているという感じではなく、「今はどんな感じか」「これからどうしていこうか」ということを中心に書いています。

いわゆる日記と思われる方もいるかと思いますが、日記というと振り返り専門のような感じがしたり、あった出来事を書いていかなくてはいけないと感じたりして、気持ちの表現というものがしにくい気がします。なので、日記とはちょっと違うものという認識ではいます。

さて、なぜモーニングページの話をしたのかというと、やってみると分かると思うのですが、気持ちを言語化するというのは、慣れていないと非常に難しいのです。そもそも手書きだと、まず漢字が書けないという驚きに直面するわけです。

そして、そもそも漢字を使うような気持ちの表現ができないことに驚いてしまうのです。

とりあえず、思っていることや感じていることを書き出してみると、「お腹が空いた」とか「お酒が飲みたい」とか「お金が欲しい」とか「なんだかお腹が痛くなってきた」とか、本能と欲望が落書きのように並ぶだけです。

それを見て今なら「なんと幼稚で拙い単語の羅列なのか」と感じるわけなのですが、当時はそれもうまく言語化できずに「わぁ、ひどい」程度の表現になってしまっていました。

まさに、知性と理性が行方不明といった感じで、青ざめたわけです。「なんだかこれは、不成仏霊がつぶやいているようではないか」と。いや、今だからそういう表現ができるわけで、当時は「なんだか子供みたいだ」という感想を持ちました。

ここでモーニングページをやることによって、重要な効果を2つ紹介します。

まず1つ目は、「自分を客観的に見れる」ということです。そして2つ目は、「あまりの単細胞ぶりに驚愕して文章力を磨くようになる」ということです。

2つ目は1つ目に付随して起こることなので、「自分を客観的に見れる」というのが最大の効果だと言えるでしょう。

文章力を鍛えることは、ビジネスにも役に立ちますが、それよりも何よりも、自分の不安の解消に役に立ちます。紙面の上であれば、自分の感情の分析が比較的容易になります。もちろん、分析のための知識というのは必要になってきます。

ただ、頭の中だけで料理できるようになるためには、まず、紙面というまな板に乗せることができなければいけません。慣れてくることで書き出さずとも頭の中で文章として組み上がり、比較衡量することができるようになるのです。ですから、基本は紙面への書き出しということになります。(このあたり、プログラミングと似ているように感じます。)

その「モーニングページ」を実施したかどうかの記録を遡ると2016年3月からつけているので、キャリアは4年半ということになります。

今はもう怖くて最初のころのものを見たくないのですが、おそらく罵詈雑言で占められていたのではないかと思います。でもそれでいいのです。誰に見せるでもないものを手書きで書いて、見返しもせずに、ただただ書いていけばいいのです。人は誰でも書くことよりも読むことのほうが長けているはずなので、自分にツッコミを入れながら続けていけばいいのです。

やって悪いことは一つも無いと思います。ぜひ、お高いノートにお高い革のカバーをかけて、良いボールペンや万年筆を使って書き綴ってみてください。3ヶ月では何も変わりはしませんが、3年も経てば確実になにか底上げができていると感じると思います。

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