ツカれたのでリハビリ

どうもデイリールーティンの達成率が悪く、心身ともに切れが無いと感じていたので、意識してリハビリをした。具体的には、ルーティンをやるのはとうぜんのことながら、家でゴロゴロしていたので歩数を稼ぐべく散歩に1時間ほど出た。

やはりフィジカルにある程度刺激を入れることで、メンタルが整うということは多い。五感からの刺激は、思っているよりもメンタルに影響する。目や耳からだけでなく、体と対話するという機会をもつことは、私にとっては重要だと思う。

さて、今回はいわゆる「しくじり」からの復帰戦・・・というと大げさだが、ちょっとしたつまづきからのリトライをしている状態だ。しかも仕事でというわけではないので、被害は軽微ではある。つまり、ある程度、気持ちに余裕がある。そもそも、ライフログをつけているからこそ気がついたつまづきであるので、メンタルは正常の範囲内だ。

そこでなんとなく思ったのは、「みんなうまくいった方法は詳らかにするけれど、しくじりはなかなか公開しないよね」ということである。

実は、うまくいった方法というのは、たまたまうまくいった可能性が高く、意外と参考にはならないもので、しくじりのほうが非常に参考になる。

これは、成功要因というのは複合的なものであり、すべてが上手くいって成功に導かれるのに対して、失敗はどこかがひとつでもおかしくなっていると発生するものであるからである。すなわち、成功談というのは成功因子をすべて挙げられていないことがほとんどなのだ。

これは仕事とか恋愛とかそういったもので考えがちだが、料理に置き換えるとわかりやすいのではないかと思う。

レシピ通りに作った一番最初の料理というのは、大失敗はしないものである。もちろん、ある程度の料理はできることは前提条件としてある。そのあと、自分のアレンジを加えたとき、特に時短をしようとしたときに大失敗をするものなのだ。そこで初めて調理工程の意味に気がつくことは多い。少なくとも私はそうだ。

何かを成し遂げるのに、料理のレシピに相当するであろうセオリーに頼るのは良いだろう。ただし、その意味をしっかり理解しないでアレンジを加えたときに失敗をする。私はこの失敗を悪いことだとは思わない。身にしみることでそのプロセスの意味を理解できるからだ。

このプロセスの意味をしっかり味わうこともそうだが、「プロセスには意味がある」という見方を忘れずに持ち、ゆめゆめ調子に乗らないことだと思う次第なのである。

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