もはや寛解を超えて完治といってよいウツではあるが、闘病は10年を超えた。本当に厳しかったと今になっても思う。ウツっけというあたりも含めたら20年ものだろう。
まず、なんといってもジリ貧なのが厳しい。同僚や上司から蔑まれるのもきついが、それが負のスパイラルになっていくのだ。
心の鍋の底が崩壊しているので、最後の踏ん張りが効かないというか、効かせてしまうと数日寝込むことになる。もう、本当に、自殺をしないようにするので精一杯であった。
信仰を持っていて、自殺をしても楽にならないということは知っていたものの、とにかく八方塞がりであった。洗面所の鏡に映った自分に「絶対諦めるんじゃないぞ」と涙を流しながら言い聞かせていたものだ。
ここからよく回復していったものだと我ながら思う。
当時の上司は今も上司だし、気持ち的に精算をしきっていないところはあるものの、その上司に評価されて、今現在は役職持ちになっているのは、素晴らしい。
逃げ出した先でやり直したのではなく、その場で失地回復したのだ。これはちゃんと卒業したと胸を張って言える状況だ。
具体的なことを語りだすと、自伝となってしまうので差し控えるが、つまりは性格を作り変えてしまったのだ。
そして、だんだんと心の貯金を作っていった。いや、心の借金を返済していったというほうが近いだろうか。
心にも収支があると感じている。心というか「幸せな気持ち」「幸福感」といったらいいだろうか。嫌なことや嬉しいことで毎日収支がついていくのだ。
ウツ状態のときは幸福の借金状態。つまり不幸ということだ。
嫌なことや嬉しいことは、その人の感じ方次第である。同じ出来事でも受け止め方が違うということだ。だから、同じ出来事が起こっても人によって収支が変わってくる。
また、この考え方の面白いところは、一発逆転がないところである。
今日の収支が黒字ならそれで幸福かというと、そうではない。今までの収支もずっと引きずっていくのだ。だから、人生の収支で黒字化しないとウツから抜け出せたとはいえない。
そして、嬉しいと思ったことがドカンと起こったとしても、不幸体質ならどんどん目減りしていくのだ。
この考え方でいうと、ウツの寛解というのは、日々の収支が安定してプラスに転じたと判断されたときであり、完治というのは人生の収支がプラスに転じたときである。
この切り口から考えていくと、「ウツになってよかった」という思考も生まれてくるのだ。
つまりどういうことかというと、半端に低空飛行している状態では一生そのままだったかもしれないけれど、地下世界まで落ち込んでしまって、集中的に対策しないと一生を全うできないとなったお陰で、根本的な弱点を徹底克服することができたのだ。
これは借金まみれだった人が、財務を改善させてどんどん借金を返済できるようになっていったら、借金を返済した後は貯金がどんどん増えていくという状態と似ている。
この心の上昇にもお金と同じでレバレッジが効く。
こんなにまわりのリソースを使って、そしてめでたく回復して、浮上してきたら、お返しをしたくなるのだ。そして、お返しをすることでさらに上昇気流に乗っていくことになる。
それはそうだろう。
「今あるのは皆様のお陰です」と心底思って行動していたのなら、まわりも幸せな気持ちになるし、それによって当人ももっと幸せになっていくことは、容易に想像がつく。
自分の中では「もうちょっとかな」という気持ちがある。
まだ上昇気流には乗れていない。「そこにあるのだろうな」とは思う。しかし、早くそこに乗ろうと焦るとその気流でひっくり返ることもある。
「絶対に治す」「諦めない」そう思って正しい努力をしていれば、やはり少しずつでも近づいていくものだと思う。
財務も借金体質から貯金体質に変わってきて、返済も進んでいる。
この調子で30年頑張れば、なんとか及第点の人生は送れそうな予感もしてきたこの頃だ。できれば50年余りやりきって、大往生といきたいところである。