言いたいことは山ほどあれど Vol.11

「言いたいことより、痛いところが山ほどある。」

フルマラソンの影響で、筋肉痛は今がピーク。「中一日でジョグできそう」と言った昨日の自分の見積もりが甘すぎる。そんなわけで比較的おとなしく過ごしている。

今日の出来事

昨夜は遅くなったので、今朝は比較的ゆっくりとした朝。体がボロボロであることはルーティンの体操で確認できたので、朝ジョグは止めて、動画編集などのデスクワークをして過ごした。

11時に出勤したらまたすぐに動画作り。今度は本日社内でやるセミナーの動画ができていなかったので、泣きながら作った。

セミナーは無事終了。リモートでのセミナーだと反応が分からないので動揺しやすい。動画にとってあることで流せばいいだけなのは気が楽である上に、段取りもすべて終わっているので時間を守ることもできる。今後もセミナーは動画でいこうと思う。

今夜は大過なく仕事を終えることができた。明日は洗濯機が届く手はずとなっている。

今日の言いたいこと

今日は少し小難しい話をする。苦楽中道である。これは仏教用語である。

私はこれを「苦しくても楽ちんでも駄目。その中間こそが正しい道。」と解釈している。これを私の心境にまで引き寄せていうと「頑張っていることをアピールしたくなるようなら負荷のかけ過ぎで、なんの手応えも感じないようでは緩すぎる」といったところ。

毎日、少しずつ積み上げている実感はあれど、それを公言しているようだと少し無理しているのだろう。もっといえば、ねぎらってもらわないと割りの合わない努力をしていると感じているということだ。

この理論でいけば、中道が現状ほぼない人もいるのかもしれない。つまりは、ちょっとやっただけで、周りに言いふらして回るような人だ。

もっとも、この上限も下限も主観なので、この中道の範囲は広げることができると思っている。

ただ、それは飽くまで、今の私のレベルに合わせた話であって、普遍的なものではない。

どんなに頑張っても、それを公言したいと思わないような(私にとっては)立派な人もいるだろうし、その前に肉体的な限界が来ることもあるだろうと思う。それに私の心境も進んでくれば、もっと違うふうに見えてくることだろう。

ただ、そこにもやはり「やりすぎとやらなさすぎ」の基準はあって、どこが中道なのかを探る道に終わりはないのだろう。

話がまた手広く抽象的になってきたので、再び手元に引き寄せると、「ちょうどいい」とか「いい感じ」というのが「正しい」に近いのだろうと思う。「いい感じ」というのは大変むずかしいことなのだ。

もっと、いい感じに生きていきたいものである。

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