マウントをとりたがる人たち
水泳で速い人でも、何やらマナーの悪い人がいます。レースでタイムが落ちてがっかりしている人に、追い打ちをかけるような言葉をかける人もいます。
それは水泳に限らず、レースと名のつくものや、スポーツ全般において、実力があるにもかかわらず、爽やかではない人たちというのは一定数います。
その人たちには「自分は頑張ってきた」という自負があり、「結果を出せていない人は、怠けていたか、根性なし」という見方をしている人もいるかもしれません。
それは学業においてもいえることかもしれません。
僕が強くなる意味
そうやって大きな話にすると収拾がつかなくなるので、今回は運動に限ったことにしておきます。
運動は結果が数字で見えやすいので、マウントも取りやすいのでしょう。
社会に出てからでは、テストのようなものではかられることはほとんどなく、査定の基準も曖昧です。鬱憤の溜まったかつての文武両道のエリートが、こじらせてしまうこともあるでしょう。
そうしたなか、苦言を呈しているだけではいかんと思うわけです。
それ相応の努力を積み重ねて、それでいて謙虚に精進していく姿というのを見せていくという啓蒙もあると思うのです。とくにタイムが出る競技は、力を明確に示すことができます。
僕が強くなることで、僕の慰めというか言葉に耳を傾けてくれる人も増えると思うのです。
人を順位やタイムで打ちのめす快感に浸るものたちに、一転語を与えるべく、鍛錬を積みたいと思います。
もちろん、ミイラ取りがミイラにならないことが大前提です。
いかにして強くなるのか
今の時代、個人であっても情報を集めてある程度の道具を揃えることができます。個人競技であれば、それだけで日本記録は目指せなくても、ひとかどの選手になることはできそうです。
根性論は怪我を招くので、ある程度、精神的な強さを意識しながらも、無理のない継続可能なトレーニングスタイルを確立することが一番重要です。
量や質についても、どういった競技に特化するのかで変わってくるものなので、単に筋肥大のトレーニングという視点だけで鍛えると、競技の結果につながらないこともあります。
ある程度、トレーニングの方向性は見えてきているので、もう少し緻密に、かつ、自分に合わせたプログラムを作っていこうと思います。
いま、やっている、GWのハーフマラソンプログラムは、一つのヒントと自信になりそうです。