「適度な運動」とは何なのか?

「適度な運動」といって「1時間くらいの散歩」を勧めている本を読むにつけ、「それは運動習慣のあまりない70代からの話ではないか」と思った。見れば、著者は50代後半の医師である。

「適度な運動」というと、「もともと人間は」みたいな人間の起源を引いてくることも多い。でもそれは憶測だし、実感もいまいち沸かない。原始の人間の食生活や生活は今とはぜんぜん違うと推察されるからだ。

また住んでいる国や地域、性別や年齢、職業や運動習慣によって、「適度な運動」は違うだろうし、同じ人間であっても、体調や疲労度によっても違うだろうと思う。

ちょっと考えれば、フルマラソンを2時間で走るような人や、300kgの重量を持ち上げるような人と適度な運動が同じとは思えない。

注目すべきは、いま自分にはどの程度のの筋肉量があって、どのくらいの負荷をかけるとどのくらいの心拍数をしめして、それはその人の最大心拍数の何割なのか・・・ということなのではないだろうか。もっとも、最大心拍数も人によって全然違うので、こういった測定で適切な数値を導き出せるのかも怪しい。

ただ、少なくとも適切な運動というのは、固定値ではなく、もっと主観的なものなのであることは分かる。そして、その感覚は運動をするほど磨かれていく。つまり、結局、トライアルアンドエラーしかないわけで、年をとってからエラーをすると再起不能になる確率も上がろうというものだ。

つまるところ「適度な運動」というのは、「ちょっときついな」と思う運動をやって経過観察をして見つけていくしかないし、いつまでたっても手探りなものなのである。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

水蕗をフォローする

コメントを残す