このブログにも「死ぬまでにやることリスト」なるものはあるが、いったん、なにも考えずにだらだらと書こうと思う。
そうは言っても本当にだらだらと書くと取り止めがなくなる話題ではあるので、項目だけ先に立てておこうか。
結婚
「まんまと」というのが実感。騙し討ちみたいな気がしてしまうけれども、その気にさせるテクニックを駆使したということでご容赦願いたい。
これからどうするか?ということは、子供ができると子供中心に回っていかざるを得ないので、子供の様子を見ながら、どの選択肢が適切なのかを模索していくことになるだろう。
つまるところ、子供次第。
子供
予定はしている。妄想や計画レベルではなく、公的機関に補助をいただけるステージには来ている。
「どうやって育てていこうか」というのは、やはり子供を見なくてはいけない。子供をよく観察していく中で、入れた知識と突き合わせて最適解を探していくというのが、今のところの見通し。
子供に関しては、あまり過保護になってもそれはそれでワガママに育ってしまって社会に出たときに苦労することになるので、ある程度自己責任としつつ、客観的に見れば手厚いセーフティーネットを用意する感じになるかな。
親としてできることは、「度量を大きくする」「懐を深くする」くらいのことであって、子供には背中を見て育ってもらうしかない。
車
駅チカに住んでいて、休日には混雑するので絶対に要らないと思っていた。
しかし、子供が小学生のころくらいまでは、深夜の不測の事態は頻繁に起こり得るし(それを不測というのはおいといて)、ある程度の母子の快適さは保たれなければならないと思うので、車を所有することはほぼ決定事項となっている。
幸い、障害となるのは、機械式駐車場の全高1550mm制限くらいなもので、空きは十分にあり、背の低い軽を中古で買っておけば、なんとか要件は満たせそうである。
収入の面から見てもその程度の経済的負担は許されるだろう。
あとは収支を上手くコントロールすることである。
仕事
このご時世、サラリーマンで本職でガンガン稼いで所得を上げる方向に頑張るというのは、逆風であるように思う。
いまは所得が一気に上がるとそこから取られる税金がエグい。
それに、私は団塊ジュニア世代であるため、定年後のサポートが心もとないし、20個下の妻のことも考えると定年だからといって仕事をしないわけにはいかない。
子供が成人するまでということで考えると、あと20年はしっかりとした収入を得ておきたいところである。つまり、だいたい70歳くらいまでは現役のような働きが必要ということだ。
そうすると稼げるスキルというのはもちろんのことであるが、健康寿命を80歳以上にしなければ、経済的にも精神的にも父親としての役目を全うすることは不可能と言えるだろう。
私が80歳のときに妻は60歳~61歳である。願わくば、妻が定年となったときに、私の健康寿命が尽きないようにしたいものである。
妻の世代だと完全な定年は70歳となっているだろうから、私には90歳になっても健康であることが求められる。年齢だけで考えれば、100歳程度でなんとか夫として父として満期を迎えるということになるだろう。
ここまでを見据えた職業感を持たなければ、男としての役割を果たせないと考えている。
ここから鑑みるに、いまの目先の仕事を無理して頑張ることは、自分のキャリアプランとは一致しないと言える。
力を蓄えて、健康寿命を伸ばす働き方をすることで、男としての仕事が全うできる。
親
母は亡くなっており、父は一人暮らしできているものの、大病を繰り返したため、健康であるとは言い難い。
粘っているとはいえ、10月で77歳である。
なんとか孫を見せてあげることは叶いそうだが、じいじとして子供の記憶に残れるかというと中々微妙なところである。
父には孫の顔を見て奮起していただきたい。
子供がある程度育たないと、葬式と言われてもなかなかしんどい。
そうはいっても、これが結婚していなかったらもっとしんどいことになっていたはずなので、妻には本当に感謝している。
趣味
趣味が実益を兼ねていないと立ち行かない。
幸いにも料理が趣味であり、しかもいわゆる「男の料理」ではなく、買った食材を使い切る「主夫の料理」が趣味である。
他にもマラソンやら水泳やら動画編集やら読書やらあるが、健康寿命を伸ばすことに直結しているとても良い趣味である。
あまり健康寿命を意識しすぎると、今度はそれがストレスとなって健康寿命が縮むという逆説的なことが起こるので、方向は方向でざっくりこれで良いとしても、たまには記録を狙ってやんちゃしたりして、しっかり楽しむことが大切。
趣味が実益を兼ねていくに越したことはないが、そもそも趣味が趣味としてリフレッシュになっていないと、本末転倒になってしまうことには気をつけたい。
当面のこと
やることはたくさんあるし、やるべきこともたくさんあるように見えるが、無理が出ては本来の使命を全うできないという難しさがある。
90歳まで健康寿命を保つためには、無理をしないことであり、明るく生きることであろう。
さっぱりとした長命を得たもの特有の性格を持つことは必須であり、そのための修養こそが求められることであろう。
所作そのものではなく、精神的な部分を見据えた本当の意味での丁寧な生活を送ることが、当面の課題であろう。人として円熟していくことである。
その心持ちを一言で表すならば「シャカリキではなくコツコツ」である。