(駄文)これからどこを見て生きていこうか

こちらは「垂れ流しの雑感」になります。いわゆる「チラシの裏」というやつです。

タイトルが意味深ですが、ネガティブな話をするつもりはありません。

この「どこを見て」というのは「なにを目標に」くらいの意味です。

学生の頃からの課題であった対人恐怖症というか、自分の中での精神的な折り合いの付け方の下手さというか、自意識過剰というか、そういうものがありまして、それが社会人になってからウツという形で明確に顕現化しました。

そのウツを寛解ではなく、もう性格からまるごと変えてしまったゆえに、完治というレベルにとどまらず、最初よりもずっと良くなるという方向に、脱皮をしました。

ここまでの私の課題は、自分の中の自分との対話であり、いわば自己の醸造というか成長という、恥ずかしながら社会に出る前に済ませておかなければいけないような課題であったわけです。

そうはいっても、なかなか大きな課題であり、これなくして次のステップには進めないものでもありました。できる人には大したことのないことですが、がっぷりと四つに組み、見事克服した自分のことは褒めてあげたいと素直に思えます。

足元の課題としては、休職やら失職やらあったことで、住宅ローンとは別にそこそこの借金ができてしまっているので、これをすべて返済して貯蓄に転じる必要があります。

ただ、キャッシュ・フローとしてはそこに入りつつあるのと、返済には時間がかかるものなので、そこばかりを見つめていてもしょうがありません。そろそろ次の課題に取り組む時期が来たようです。

いままでは自分のことで精一杯だったので、金銭的な余裕が生まれてくれば、次は攻めに転じる必要があります。攻めというとちょっとギスギスしているのですが、要は他の人に良い影響を与えていく余裕を持つということです。

余裕というのは、お金もそうですが、心と身体にも余裕がなくては人のためにどうこうできません。

完全なる自己犠牲となってしまうと、やはり聖人君子ではないので、恨み言のひとつも出てきてしまうでしょう。それは持続可能な状態とは言えません。

心と身体を強くして、勉強を重ね、包容力も経済力もある人間を目指しても良い頃合いかと思います。

まあ、「50にも近くなって」と思うところもありますが、かのカーネル・サンダースも65歳で起業したといいますから、遅すぎることはないでしょう。やれると思うならやっていくのが、今回のこの人生を積極的に活用していく正しい姿勢だと思います。

もっと賢く、もっと力強く、もっと寛容に、もっと優しく生きていこうと思います。

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