(駄文)習慣力とは言うけれど

こちらは「垂れ流しの雑感」になります。いわゆる「チラシの裏」というやつです。

名ばかり管理職になったと言うことで、一応昇給はしたので、これから借金返済にドライブをかけていこうと思っていたところですが、もうWindows7マシンでは戦えない事態となり、泣きながら20万するノートパソコンをポチった次第です。

注文翌日に発送され、いまこちらへ向かっているところでございます。

早ければ明日にも到着すると思われますが、明日は夕方に実家に行くことになっているので、場合によっては受け取れないかもしれません。

さて、表題の件です。

「習慣力」というのは、なんだか自己啓発系の書籍でしばらく踊ったワードかと思います。

世の中の「習慣力」に対しての考え方は存じ上げませんので、個人的な見解を述べさせてもらいますと、「習慣力とは勝手に行動してしまう仕組み作りの力」ということになります。

習慣づけさえできれば、そこに気合と努力と根性なんてものは要らなくなるということでありますが、その「気合と努力と根性」はどこで使うのでしょうか。それはちょっとよくわからないです。

ただ、少なくとも、日常において「気合と努力と根性」を発動していたら、それだけでヘトヘトになってしまってしまうことは間違いがなさそうです。

義務感で習慣づけをおこなっていると、自分で自分の尻を叩いているようになって、心休まるときがなくなってしまいます。「~しなければならない」という気持ちは、意外と疲弊をさせるものです。

義務感をもたせることなく習慣づけをしていくというのはなかなか難しいことではあるので、折に触れて「どうしてその習慣をつけようとしているのか」という原点に立ち返らないと、ただただ自分をいたぶるだけになりかねません。

明確な目標からブレイクダウンして、習慣化する内容を決めていくのがセオリーということでしょうけど、それもまた自分を追い込む罠があるように見えます。

毎日、ジョギングをして健康を維持するのに、距離や時間やらを決めてしまうとなんだかおかしくなってくることもあります。例えば台風の日に外に走りに行くことが重要とはとても思えません。いくつかバリエーションを設定することも1つの案ですが、「台風で外に出るのが危険な日」が毎月あるわけでもなく、そういう日は休んでも構わないと思います。

習慣化というか継続というか・・・なかなか難しいと思うこの頃です。

しめすぎると何のための習慣なのか分からなくなってくるし、バリエーションを作りすぎるとそれが逃げになって力がつかなくなることもあります。

そもそも自動的にどうこうするのではなく判断が入るようになると、継続はしているものの習慣化されているのかというと疑問が残りますし、意志力を使っているので疲弊しそうです。

習慣化するには極めてシンプルにしていくことは重要なのでしょう。

例えば、台風の日であったとしても、流れでジョギングシューズを履いて玄関のドアを開けるところまでは自然にやってしまうくらいであることが重要です。そこで外を見て「あ。台風じゃないか。やめやめ。」となるのです。

トリガーが作動したら、そのまま流れで体が動くようにするためには、日によって行動が変わるようではいけないのでしょう。

こうやってゴリゴリ書くことでなんだか分かってきたように思います。もっとシンプルに分かりやすく判断を挟まないところまで落とし込めばよいわけですね。

たとえ休日の朝であったとしても、平日と同じようにお弁当の準備をする動きはしたほうが良いわけで、せめてお茶を水筒に入れるくらいの動きをしたほうが、朝のルーティンとして完成しやすいのだと推察されます。

よしよし・・・流れを意識して完全な習慣化を目指してみたいと思います!

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