仕事のパフォーマンスが悪く、このままではジリ貧なので、いったんアタマを整理することにしました。今日はお休みをとりました。
そもそも何が原因か?
原因は明確で、身内の健康上の理由というか、母の逝去と父の入院であることは間違いありません。それによって心が揺れて、ピリッとしていません。
人には生みの親というのは2人しかいませんし、親が死ぬというライフイベントは最大でも2回しかないので、そこで動揺するのは致し方ないところだとは思います。
そうはいっても、自分の人生を生きていかねばならないので、タイミングがタイミングとはいえ、しっかり地に足をつけていかねばなりません。
いったん手放そう
なにか明確な意志があって「生きていかねば」と言っているわけではなく、一般的にそうしないとやっていけないので、そこにしがみついているだけです。
それはまるで逆方向の電車に乗りながら、行きたい方向に走っているようなものです。まずは正しい方向の電車にのること。話はそれからです。
比喩のうえではなんとなく理解ができますが、それを自分に照らし合わせてみると具体的にどういうことなのかを考える必要があります。
この時代のこの日本で、職と持ち家を失っても、死ぬ気がなければそう簡単に死にません。借金まみれになったとしても命までは取られません。あるとすれば、気に病んでそれで命を落とすぐらいでしょう。
父においても、介護が必要な状態ではありません。放置していれば、そのうち家で倒れているのが見つかることになるのかもしれませんが、ひとりでも人間らしく生きていける状態にあります。
ゆくゆくは私が父の葬儀を執り行うことになるのでしょうが、それは遅かれ早かれ絶対来ることなので、ここで気に病んでもしょうがありません。葬儀中に「面倒くさいなぁ」と思っていればいいだけのことで、事前に手を打つことはあれど、気を揉むのは余計です。
いまここで仕事もせず家に引きこもったところで、借金まみれの中年ニートが爆誕するだけのことです。褒められたものではないかもしれませんが、犯罪者でもなんでもなく、よくいるやつです。
拾い集めよう
そうはいってもここでこのタイミングで中年ニートとして爆誕するのは、そっちのほうが多難なので、「選択しない」と決めます。
父をほっぽらかして自分のことだけに専念するという選択肢も取りうる状況です。別に父は助けを求めていませんし、迷惑をかけたくないとも思っていることでしょう。
つまりは私が勝手にやっているお節介であって、そこに大きなパワーを使うことは誰も求めていないというわけです。これをやっておかないと後悔をするというラインは自分で決めていることなのです。
そこで導き出したのは、週2回、顔を見せること。
なにかを助けたりするわけではないけれど、2回目の入院は倒れているところを発見されての入院なので、この頻度の様子伺いはしておかないと後悔しそうと考えてのことです。
実家と自宅の往復は2時間半かかるので、実家についたらなにかしたいと考えてしまいがちですが、30分くらいいてお話するだけで良いと思います。
見失わないようにしよう
ぱっと書き出せるくらいにはわかっているわけです。落ち着いてこうやって書いていけば、ね。
だから、私が気をつけるべきことは、落ち着いて思っていること書き出す時間を毎日作ることなのだと思います。こればっかりは、義務感を持って必ずやろうと決めてよいものでしょう。
この「落ち着いて思っていること書き出す」という行為は、反省と呼ばれるものです。
思ったことをブログにすべて曝け出すのはリスクが高すぎますが、アナログ日記ならなんの問題もありません。夜日記をルーティンに加えることにしましょう。
ちなみにジョグは今週から再開しています。4日間で23km走っています。これはこれで成果を感じるので、ジョグと反省をどんなときでも絶対に外せないルーティンとしてやっていきましょう。