1日を振り返ったときに「充実していた」と思える日はどういう日だろうかと考えた。
いっぱい遊んだ日だろうか?
何かの創作にまるまる1日をあてた日だろうか?
あるいはたくさんの本を読んだ日だろうか?
いずれもそれが1日だけであれば充実していたといえるのかもしれないが、これが毎日続くとどうなのだろうかと考えてしまう。
ハレの日、つまり特別な日としてはいいのだが、ケの日、すなわち日常の中の充実ということを考えた場合に、いささかバランスを欠いているように思える。
バランスとは一体何のバランスかというと、学習・読書・トレーニングといったインプットと、創作・発表などのアウトプットのバランスである。
このあたりのバランスは金銭の収支と同じで、インを多めにしておかないと枯渇するということだろうと思う。日常的にストックをつくり、特別な日に展開するという流れと並行して、日常でも小さなアウトプットは作るというのが健全なバランスだろう。(あるいは、特別な日にインプットのストックをしておくということもあるだろう。)
具体的には、日々の業務をこなして飯の種を作りつつ、来る日のために別の仕込みもしておくといったところだろうか。
こういった「将来の備えをしておきながら今を着実に生きる」ということが、将来に不安があったとしても、「たいていのことは乗り越えられる」という自信につながり、日常の幸福感を味わうことができるのではないかと考えている。
つまるところ、充実の休日と充実の平日は質の違うものであって、平日を充実させることが生活の質の向上につながるという考えに至った。