ブログもYoutubeもぱっとしないのは、コンテンツが閾値を超えていないからだと思います。なんの閾値かというと、視聴者の感動の閾値です。
それは好ましいという感情であってもいいし、不愉快という気持ちかもしれません。必ずしもポジティブである必要はないのですが、とにかく、人のリアクションをとるには、ある一定以上の揺さぶりがかからないといけません。
可もなく不可もない日報のようなエントリーも、30年も続ければ楽しい見方ができるのかもしれませんが、それは「楽しい見方」を提示する必要があって、その「日報」だけでは楽しくありません。
嘘偽りのないコンテンツを
いくら感動が必要だからといって、ウソをつくようなことをしてはいけません。それは道義的にどうこうというよりも、見透かされるので割が合わないということです。
もっとも、見透かされるのを想定し、晒し上げられるのを期待しているのであれば、それは計画通りなのかもしれません。でも、私が求めているものではありません。
ウソは、自分についてもいけません。なぜならば作っていてつらくなるからです。下手をすると「こんなに頑張っているのになんでみんなは分かってくれないんだ」などと恨み言をいうようになります。
そして、その恨み言はしっかり視聴者に伝わってしまうものなのです。
ちょっと忘れがちなので、自分に喝なのですが、私は物事を楽しんでいる様を伝えたいと思っています。(私はかっこいいとか美しいというのとは無縁です。)
魅せる技術よりも丁寧に伝えること
絵や音のパフォーマンスがセールスポイントであるならば、そこを頑張ることは王道ですが、楽しさを伝えるのであれば、喋ったり書いたりした内容が分かりやすく伝わるように工夫する必要があります。
いままで通して見てくれていることを前提にしてしまうと、当然、いままで見ていない人は置いてけぼりになります。すなわち、コンテンツを作ったあなた以外は置いてけぼりになるわけです。
だからといって何度も何度も同じことを繰り返して説明するようだと、自分自身にストレスが溜まってくるかもしれません。それに多くの人が見てくれるようになってきたら、その人たちも少しイライラしてしまうかもしれません。
深く考える必要はありません。「こないだもいいましたが」の「こないだ」が、いつ、どこのことを言っているのかの注釈を加えればいいのです。リンクがあるのならリンクをつければいいですし、引用のほうが分かりやすいと思うのなら、引用をしてしまえばいいのです。動画内で前回の動画の一部を流すのもありです。テレビ番組でもやっています。
適切な言及や説明、引用はなかなか難しいですが、やっていくうちに慣れてくるはずなので、初めてサイトやチャンネルにアクセスしても分かるような手がかりを明示する努力をしましょう。
伝える説明をすることを面倒臭がらないのはとても大切なことです。
不平不満はもってのほか
弱音が出たりもするかもしれませんし、それは致し方ないところもあるのかもしれません。たまになら、それを面白おかしく伝えることもできるでしょう。ただ、不平不満はやめましょう。つまり、愚痴もだめです。
何かを悪者にするような言い方は賛同が得られにくい上に、明確な敵を作りやすくなります。
もちろん、自己主張をした上での意見の対立ということであれば、それは問題ないと思いますが、「あの人いつも文句ばかり言っていて辛気臭いよね」というのは、避けなければなりません。というか、それは全然楽しそうではありません。
例えば、「会社で遅くなった」まではよくても、そこから「疲れた」という言葉が出てくるようだと黄色信号です。それ以上、話を膨らませてはいけません。会社の人が見ているかもしれませんし、視聴者に「会社の人が見ているかもしれないのに」と思われてもアウトです。
最後に
つまり、不平不満を露わにせずに、できることなら本当に心の底から楽しんで、そしてそれを伝える手間を惜しまないことが、見たり読んだりした人だけでなく、自分自身にもよい結果や効果をもたらすものだと思うわけです。
技術やテクニックはその先にあるもので、まずはマインドセットをしっかりしましょう。