いわれてみれば至極当たり前の話。
「こういうの好きだろ?」
「こういうの好きだろ?」という言い方は上から目線ではあるが、実のところ人の目を気にして迎合している姿だ。
「してやっている」というお仕着せがましさが、受け取る人には伝わってくるはずだ。
この姿勢のまま行き詰まってくると「してやっている」と「自己憐憫」と「分かってくれない周りへの恨みつらみ」になりかねない。
実際それを作っていて楽しくないのだろう。
「これが好きなんだ!」
一方、「これが好きなんだ!」というアプローチは、ともすると壮大なマスターベーションになりがちではあるが、「好きを共有したい」という気持ちがあれば、伝える工夫を大いにするだろう。
好きなことだから楽しいだろうし、疲れ知らずだろうし、どんどん上手くなる。
受け入れられなくても気持ちは折れにくいし、続ける力を他から供給する必要もない。
同じことを続けていては自分が飽きてしまうからどんどん新しいことを始める。
情熱が必要
「こういうの好きだろ?」な人は、もしかしたら既に飽きているのかもしれない。作業になっているのかもしれない。
こどもの学年誌のように、毎年ターゲットの人間が入れ替わるのであれば、それがいいのかもしれないが、ターゲットと一緒に成長していくクリエータであることを望むなら、「好き」とか「楽しい」とか「美しい」とかそういう情熱を持って作らなければ、受け入れてもらいにくいだろう。
クリエイトするものは、文章でも絵でも映像でもアプリケーションでもデザインでもどれにでも当てはまることだろう。
例えば、喜々としてCSSを打ち込むとデザインが変わるわけではないが、最後の仕上げの詰めまで、しっかりとケアすることで、スキルも上がるし生産性も上がっていくことだろう。CSSは命名法則一つでメンテコストが変わってくるものでもある。
金銭を稼ぐためのお仕事であっても、こだわりポイントを作っておくことが、タフに働ける一つのコツであるのかもしれない。
気持ち一つでやる気はもちろん、免疫力も消化吸収率も変わってしまうことはもはやエビデンスを示すまでもないだろう。
気持ち一つで人生が変わる
「たったそれだけで?」と思うかもしれないが、自分の人生が変わるだけである。たった一人のちっぽけな自分の人生が変わるだけである。大したことはない。
そうやって生きていくと一人の問題ではなくなってくるのは、また別の次元の徳の高い人のお話。
ちっぽけな自分をその自分そのものの気持ち一つで変えるなんてことは、だいそれたことではないのだし、それが出発点だと思う。そしてその出発点のままであっても、なかなか上出来な人生だとは思う。人を変えようとしても変わるものじゃない。
自分の生み出すもので自分を鼓舞して盛り上げていくのが王道なのだ。
わかったね?楽しめ私!