「健康でいるための習慣」みたいなものは、ブログのテーマや書籍のテーマにもなっている一大カテゴリーです。
色々好き勝手に適当なことが書かれているのを見るにつけ、「じゃあ私も好き勝手に書かせてもらおう」と思うに至りました。(笑)
まず、みなさん。色んな前提をすっ飛ばして話を始めすぎなのではないかと思います。
住んでいる環境や労働環境は、差が非常に大きいものです。身体的な問題も括るには差が大きい部分かもしれません。地域の習慣や風土の影響も大きく受けます。
これを聞いて「そんなに変わるかなぁ?」と思ったでしょうか。
ちょっと待ってください。いま、自分まわりのことしか考えていなかったのではありませんか?それなのにアメリカでの研究成果を鵜呑みにしようというのでしょうか?「もうちょっと冷静になりましょう」といいたくもなります。
四季や朝晩の温度変化、日照時間が違えば、朝晩の運動の影響も変わってきます。汗の量やその成分は、同じ人でも日によっても違います。こうやって考えると、健康になるための習慣というのは、もうちょっと主観的な目安が入っているものではないかと思うのです。
そうはいっても、主観というのもまた曖昧なものです。なぜなら、そのセンサーが信用に足るものかが分からないからです。
例えば、アルコールに強くなるということは無いといいます。回数を重ねると強くなったように感じるのは、感覚が麻痺しているだけであって、酔っていることに気がつかないだけだとされています。こんな壊れ気味のセンサーの「ほろ酔い」なんていう主観的な基準では心もとありません。
こうなってくると、この「センサー」を調整する習慣も必要になることが分かります。単に「好きなときに好きなだけ」というのではダメなのです。
では、このセンサーを調整する習慣とは一体何なのでしょうか?
私は3つあると思っています。
1つは運動であると思います。人は長らく野山を駆け巡って糧を得てきたので、動物として必須のことだと思うわけです。
2つ目は食事であると思います。どう考えても肉体は食べたものからできているので、いつ食べるかはともかく、結局何を食べたのかのほうが重要になると思うわけです。それが生活行動とあまりにも乖離している場合は、見直しが必要だと思います。
最後の一つは勉強することであると思います。「ちょうどいい」を知るには他との比較や検証が必要だと思うのです。「ちょうどいい」というのは、単にどっちつかずの曖昧なものをさすのではなく、「正しい」に近いものだと思います。
その人にとってちょうどいいものというのは、他の人にとってはほぼ間違いなくちょうどいいものではありません。また、その時にはちょうどいいものであっても、時間の経過とともに変わっていくものでもあります。そのときそのときの「ちょうどいい」を模索し続けなくては到底得られるものではないのです。