ただのToDoリスト
できるようになりたいことを決めて、そこから逆算していまやらないといけないことを決めます。そうして出てきたものが目標達成のためのToDoリストです。
しかし、これはただのToDoリストです。やらなければいけないものであって、決してやりたいことではありません。「ダンボールをたたむ」とか「固定資産税を払いに行く」というリストと重みが変わらなくなってしまいます。
ToDoリストにワクワクはしない
いくらその先にできるようになりたいことがあったとしても、量を決めてしまうといきなり味気が無くなってしまいます。その心境は、たとえば「自発的にやる宿題」と「親に言われてやる宿題」くらい違います。
もちろん、そうはいってもやらないといけないものはあります。
ここでいっているのは、「ワクワクしていたはずのものまで義務にしてしまってつまらなくしていないですか?」ということです。楽しむのに義務を持ち込んでは興ざめです。
目の前の人参方式は刹那的
「そうはいっても、できるようになることが目的ならToDoリストは必須ではないか」と思うかもしれません。
ToDoリストというのは、消しこみをしていくリストです。それはまるで小学生の宿題シールのようです。
この方法ははじめのうちはシールを貰えることで順調にこなしていきますが、そのうちシールを貰うことが目的になってしまったり、シールがあまりもらえずに差がつきすぎることでやる気を失ったりします。
目的のものと違うところにモチベーションをもたせると、うまくいかないのです。
成功哲学の本とか教え方の本なんかでも、まだこの目の前の人参方式の効用を謳っている人がいますが、長年培った実体験なのかどうか怪しいものです。
いとも簡単に手段と目的は入れ替わる
「手段を目的にしてはいけない」というのはいいやすく格好いいのでよく聞かれる言葉ですが、本当にそうでしょうか?
目的を果たすための手段が楽しくないことには続きません。もちろん、目的を忘れてしまっては元も子もないですが、そもそも手段と目的は直結しているものです。
思うに、ToDoリストを作った瞬間に手段と目的が入れ替わっているような気がします。
練習の前に本番
ToDoリストを作っている時点で「しっかり準備しよう」という守りの姿勢が感じられます。
「これとこれができるようになったらこうしよう。」と思っているのでしょう。「毎日10枚絵を描いて、うまくなったらピクシブにアップしよう。」という感じでしょうか?
グダグダ考えず描いてすぐアップです。そうしたら課題が見えてきます。ToDoリストなんて必要ありません。いまそこに解決すべき課題が出てくるのですから。
英語だってもう海外に飛び込んじゃえば覚えるのも早いです。
ToDoリストを作っているというマインドセットがもう間違っているのだと思いました。作るのはリストではなくて予定です。