動画のほうが説明するのが難しいです。文章はやり直しが簡単にできますが、話すのは気分もリズムも全部声に出るので、やり直しや、部分的に修正するのが難しいのです。歌の吹き込みのほうが楽なくらいです。
手弁当ブログの動画が進化中
進化というのか劣化というのか、強烈な個性が出てきました。無難なものは存在価値がないので・・・ということではないのですが、やりたいようにやってクセが強いぶんにはいいのではないかと思っています。
「えー」とか「まあ」とか「そうですねぇ」なんていう言葉で隙間を埋めてしまいがちなので、的確な言葉を選んで意味の通る文章をその場で作って発言するという練習のつもりでやっています。
ちなみに、もともとは食券制のところではないと注文ができないくらいの上がり症で人見知りでした。
ラーニングの講座開始
HTML5の微妙なターゲットの講座は完結していますが、いかんせん見難いということで、動画での講座を始めました。一応、社内向けに動画の講座を作っていたりはしたのですが、今回はもう習うより慣れてしまおうということで、「えーっと」とか「まあ」とかいいながらやっています。
以前は社内向けの動画でも緊張して声が震えたりしていたのですが、最近はそうでもなくなってきました。肝が座ってきたというか、人の目が気にならなくなってきました。これもうつ克服の過程で身につけたマインドセットの賜物だと思います。
悪いことをしているのではないのだから、恥じることはありません。
場数を踏んでうまくなったら、また同じテーマで吹き込み直せばいいと思ってやっています。とにかくパッケージとして完成させてしまうことが重要だと考えて、スライドを作って、その流れに沿うように自由に話して、かつ、尺を合わせるようにやっています。
慣れるしか無い
滑舌に文句をいう人は多いですが、そういう人は自分の声を自分で聞いたことがないというのがほぼ100%を占めていると考えています。
能書きを垂れている自分の声を聞くというのは黒歴史よりもひどい辱めです。自分で自分にダメ出しをすることはもちろんのこと、はじめて聞いたときには、あまつさえ「死ね」といいはじめます。
どうしたら、人に能書きを垂れても平気になれるのかというと、自分で録音して聞くしか無いのです。自分の声を聞いているうちに慣れます。どのくらいで慣れるのかというと100時間も聞いていれば慣れるんじゃないでしょうか。
やらない人には途方も無い時間ですが、自分で動画をチェックして編集をやっていれば、サラリーマンでも1年もしないうちに慣れます。動画ばえする声とかも分かってきますが、分かるのと出せるのと、それを維持するのはまた別の問題です。
私は、継続ができなくて、忘れてしまったので、またやり直しです。