読書量が1日1冊を超えて気がついたこと

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9月の中旬くらいから読書を加速させて1日1冊を軽く超えるペースで本を読むようになりました。買った本でいえば、9月の書籍代は1.5万円を超えました。もちろん、繰り返して読んでいる本もあります。
そうして読んでいるうちに気がつくことや感じたことが少なからずありました。

やっとスタートライン

知識人と呼ばれる方が何をしているのかがやっと分かってきた状態です。
これを学生の頃から続けてきたということは、「もう、本当に果てしない差がついているのだなあ」と途方にくれるしか無いのですが、やらなければどんどん差がついていくだけです。

何をやっても更に差を広げられる状態ではありますが、長く生きれば、追いつくことも追いぬくことも叶うかもしれないので、100まで生きて生涯読書を続けていこうと思います。

如何に教養がなかったか

読書をすればするほど、頭の悪さを知るというか、知らないことに気がつくというか、何も持っていないということに気が付きます。

古典も歴史も文学も知りません。
知的な会話を楽しむという感覚が分からないという無教養なおじさんになっていました。

読書量が閾値を超えると謙虚になる

週2冊程度だとインプットが足りずに、むしろ「週二冊も読んでるんだぜ!(歴史小説を)」みたいな井の中の蛙っぷりを発揮してしまいます。

1日に1冊以上、ときには1日10冊近く読むようになると様子が変わってきます。

習慣化して1ヶ月くらいで既に頭の冴えというかキレが違ってくるのが分かってくるのに、そんなのを学生の時から毎日数十年続けている人が読書家と呼ばれる人で、そんな人たちに知識を振りかざすなんてもう恥ずかしくて恥ずかしくてできなくなります。反省しきりです。

申し訳ございませんでした。

量を読まないと質なんて語れない

量よりも質とはいいますが、多分、1日2~3冊が最低限の量だと思います。
そのうえで本の質を如何に高めるかという話になるのが実際やってみた感覚です。

質を高めるほうからやっていますが、量も重要です。
1日2~3冊は恐らく本を月に1冊程度しか読まない人の想像をはるかに超えている量でしょう。

読書はすべての元手

経験から学ぶこともありますが、どちらかというと読書で得た知識を経験に活かして、それが知恵に変わるというフローになっていることが多いと感じます。

何をするにも、まずは読書といっても過言ではないことに気が付きました。

しかしながら、それは読書をしていないと分からないという歯がゆさがあります。
幼少期に本を読むクセをつけるということの重要さを改めて認識したこの頃です。

ネットの情報はコストが割高

ニュースなどをさらうにはいいのかもしれませんが、情報としてまとめ、要約して、さらにそれを人に教えるには、非常にコストがかかります。

それはこの部署で正社員にITスキルを教えるにあたって痛烈に感じました。

私が専門にしている技術であっても、ものすごくコストがかかります。
もしかすると、専門にしているから、裏をとったり意図をくんだりすることをするのかもしれませんが、逆にいえば、専門外だとネットの情報では人に教えるような精度を出せないことになります。

なぜなら、判断基準を持っていないからです。

意味の通らないスクラップを意味が通るようにして、対象もこちらの意図したレベルに合わせて、裏もとって・・・とやるくらいなら、書籍を5冊程度買って精査したほうが、精神的にも肉体的にも時間的にも経済的です。つまり、金銭的にも結果として安く上がります。

書評は要らないと思っていましたが、自分の得たことを交えながら、その本を手にとってもらえる紹介するという意図での書評は大変意味があることであるので、なんらかの書評はブログに載せたいと思います。
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