タスクを積むのをやめた

目下、休職中である。

8月からだから大して時間も経っていないし、お盆休みとも重なっているので、完全な休職気分になるのはこれからだと思われる。

無遅刻無欠勤にするには、睡眠サイクルを整えることが必須であったが、休職となれば、朝起きて夜寝るということをする必要はないのである。いわゆる「ちゃんとする」必要は無くなったのである。

それに気がついた私は、風邪の時もそうであるように、「眠りたいときに眠り、食べたいときに食べ」という自堕落な生活を10日間ほどやってみた。ちょうど猛暑日が続いていたあたりの一番暑いときに眠り呆けていたことになる。

世の中便利なもので、宅配便は宅配ロッカーが勝手に受け取ってくれるし、近くには24時間あいている牛丼屋も、これまた24時間あいているスーパーもある。もちろん、コンビニもある。ゴミはゴミ庫があるので好きなときに出しておけばよい。

まあ、これはこれでいいのだが、他の人と予定を合わせるとき、非常に困るのだ。3日後の昼間に起きているかどうか分からないというのでは、予定を入れられない。一人篭って黙々と何かを作るということだけを求めているわけではなく、外界との関わりあいは持ちたい。持ちたいどころか、その外界の一員として、一人だけではできないことをチームで成し遂げたいと思っている。

そんな自分の気持ちに気がつき、大義名分ができたので、朝起きて、夜眠るという生活サイクルに戻すことにした。

今までのタスクは「良い子になろう」に近いものがあり、「やりたいことのために必要だから」というのとは随分違う。「ねばならない」「マスト」でタスクを積むこと自体は悪いことではないとは思うが、動機がゴールありきではもたない。ゴールに到達するまでずっとツライことになるのではないのか?

例えば、「絵がうまくなりたい」だとゴールは、ない。でも、もっと具体的に「文章では分かりにくいことやツマラナイことを楽しく分かりやすく絵で伝えられるようになりたい」だと、ゴールとは言いがたいが、ある程度のラインは見えてくる。そして、そのために何をしたらいいかということも見えてきやすい。

この例でいうと、「絵日記をつけてみる」なんてのもいいのかもしれない。やってみると「伝えたいこと」があると「構図って重要だよね」とか、「ぶっちゃけ、細かく描いてごちゃごちゃするより、もう文字でよくない?」とか出てくる。そこら辺まで考えてから初めて座学が役に立つような気がする。いや、座学を先にやってもいいのだが、活かせるのはそこまで考えてからだと思える。

そんなこんなで、のんべんだらりとしていると色々考えるのである。

「そもそも会社で働くことが必要なのか?」とかね。

会社というのは数値目標を掲げる。結果として株主やら出資者にアピール出来なければ、納得してもらえないからだ。

ただ、「小学校のシールでの達成進捗公開」というやり方と同じようなことを社員に課すのはちょっとした疑問がある。だってこのやり方は小学校の現場で破綻することが実証されているじゃないか。

はじめのうちは真面目にやるが、次第にシールを貼ることが目的になってしまって、当初の目的というか、先生の目論見と違うところに着地してしまうという事象が起こる。

とはいえ、意外と世の中そんなもんだったりする。「効率よくシールを貼る」方法を見つけ出せば、うまく渡っていけるだろう。そうしたテクニックだって侮れない。

でも、それって楽しいのかい?

楽しければそれはそれでいいのかもしれない。でも、私は楽しくない。全然楽しくない。

どうやったら、面白おかしく、それでいてやりきったという感じになるのかなぁと考えながら休職している。

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