ワクワクドリブンというのは、私がJavaScriptを専攻していて、JavaScriptがイベントドリブンな言語であることから、もじってそう呼んでいるだけのことです。そういう言葉が世間一般で使われているわけではありません。
ドリブンとは駆動という意味で、ワクワクドリブンというのは、つまり「ワクワクを原動力とする」ということです。最近よく取り沙汰されている「好きなことをやって生きていく」に繋がる部分があるでしょう。
さて、このすきなことやワクワクすることというのは一体なんだろうかというのが、今回のエントリーのテーマです。
どう考えても、この「ワクワク」は本能や欲望とはちょっと違うところにあるものでしょう。好き放題という意味ではないのは自明です。
世の中の「ワクワクドリブン型」の書籍は、この「ワクワク」の定義を曖昧にしすぎているように思います。確かに言及はしていますが、軽く扱いすぎではないでしょうか。
そうはいっても、明確な使命というか揺るがない「好きなこと」というものはそうそう見つかるものではありませんし、見つける前に人生が終わってしまうことのほうが多いかもしれません。
そこで「まずは気になることに手を出してみる」というのは、非常にいい方法だと思います。やって後悔することよりやらずに後悔することのほうが多いと聞きます。
ただ、そこで何かを始めたとしても、そのことにとらわれ過ぎないようにしないといけません。水泳を始めたからといって、一生水泳をやらなくてはいけないことはないですし、苦しくてもやり続けなくてはいけない道理も義理もありません。「あなたにきめた!」と運命を感じて突っ込んでいってしまうタイプは、一歩ひいて見るクセをつけたほうがいいのかもしれません。
「好きなこと」は熟考する必要はないけれど、短期決戦な気持ちで望んでもよくないということです。やっている今この瞬間が楽しくなければ、バランスがよくないということなのかもしれません。肩に力が入っているようではいけないのです。
こうやって色々とかんがえてみると、「好きなことをやって生きていく」という言葉の裏には、それを支える生き方があるように思えます。
無理をしない、自然体・・・でありながら、緩んでもいなければ、怠けているわけでもいないという、仏教でいうところの中道が見え隠れします。
スケジュールを立てたり、マイルストーンを切って進捗を管理したりするのもいいでしょうが、進捗に遅れがみられたときに、それを間に合わせるように頑張ると様子がおかしくなることに気がつきました。
進捗管理は大切ですが、大幅な遅れが出た場合は、マイルストーン自体に無理があるのかもしれませんし、やる気が出てこないというのであれば、そっちの方向じゃないのかもしれません。あるいは苦手な部分が出てきてしまって足踏み状態だけれども、他の人にお願いすれば解決してしまう状況なのかもしれません。進捗管理は、立ち止まって考える指針を得るためにやるものであって、叱咤激励の材料ではないのです。自分を叱咤激励した時点で「ワクワク」ではなくなってしまいます。
自分の考えや状況や気持ちをもっとよく知ることが必要で、自分に出来ないことがあるならば、他の人に手伝ってもらえるような手立てを考えればいいわけです。そのあたりの調整が非常に面倒に感じるのであれば、それを引き受けてくれる団体に所属するというのもありです。それは会社なのかもしれませんし、何かの組合なのかもしれません。
自分は変わっていくものなので、今の自分がいいと思えるものも変わっていくことでしょう。だからこのサイクルに終わりはないのです。