もうキャラクター駄々漏れなブログ運営しかないのかも?

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ちょっとしたお役立ち情報とか、整合性のとれた上質なコンテンツは、もう世の中に溢れかえっているのでしょうか。アウトプットで語るのではなく、プロセスを共有することが、求められているコンテンツなのかもしれません。

タレントになるわけではない

大衆に晒してそのパーソナリティでマネタイズをしていくということは、「つまりはタレントなのではないか?」と考える人もいるでしょう。

たしかに、タレントはその最たるものではあります。タレントが晒しているのは容姿です。それがプロスポーツ選手の場合は超人的なプレイです。

そこで、ブロガーもきっと何かを大衆に晒すのが王道なのかもしれないと私は考えたわけです。

自分をプロデュース

大衆に晒すものとその見せ方を決めるということは、自分をプロデュースするということです。そのためには自分を知らなくてはいけません。

自分のことを全部知る必要もありませんし、それは不可能なことです。しかしながら、自分を認める必要があります。少なくとも自分のことなのに分からないことがあったり、分かってはいるけどやめられないことがあったり、どうしても許せないことがある自分を否定しないことです。

それはそうでしょう。人におすすめするのですから「面倒くさいところはあるけれど楽しいやつだよ!」くらいの肯定は必要です。

ダメなところを見せていくスタイル

私は意識高い系が好きではありません。好きではないというか、私自体が「ええかっこしー」なので、人のそれを見て夜な夜な頭を抱えて布団でゴロンゴロンする感じです。好きとか嫌いとかではなく「うわー!もう、やめてくれー!」という心境です。

ダメなところといってもいうほどダメではなくて、「お酒をやめるぜ」といったそばからビール開けているとか、緊張して眠れなくて朝寝坊したとかのレベルです。面識もない私のそれをキーキーいう人もいるでしょう。でもそこに合わせる必要もないかなと思えるようにはなりました。

基本私はダメ人間なので、物事をテキパキ片付けていくきっちりしっかりした人はすごいなぁと思います。でも、やっぱり、そういう人からでも、だらしない人だと思われたり言われたりするのはイラッとしますね。それがまたテキパキしているのだけど身体がだらしない人だったりすると、イラッとを通り越してムカッときます。(笑)

つまりまた逆もしかり、です。意識高い系で詰め寄ると相手もイラッとするはずなのです。

自己研鑚は欠かせない

落ちていく人に魅力を感じませんし、自分自身でも自分を推せないと思います。
ポイントは落ちた人ではないということです。

気持ちのベクトルが上向きであれば、いまの状態は関係が無いと思います。

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