学ぶというのは言われたとおりにやるということだった

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学びの本質を子供の頃から知っている人もいるはずです。
多分、そういう人は中学ぐらいから頭角を現し始めて、社会人になっても勉強を続けているに違いないと思います。
特徴としては仕事が丁寧で、基礎の抜け漏れがないところでしょうか。

この歳になってやっと気が付きました。今から頑張ります。

最初は言われたとおりにやる

最初のものさしがないのだから、とにかく言われるがままにやるしかありません。
ごちゃごちゃ雑念を挟まずに、身体に覚えさせます。習慣にします。

これが全くできないわかり易い例が、創作料理と称して生ごみ作っちゃう感じです。

何か気づきがあっても言われたとおりにやる

この辺からがエリートとの分かれ目です。

ある程度ものさしができた状態であれこれアレンジをはじめてはいけません。
ものさしができたら、自分にあった教本を探したり試したりするだけで、自分で作ってはいけません。

ここにとどまる限り、耳年増な素人のままです。

ものさしを使って自分に合うやり方を見つけたら、それに従います。

結果が出るまで言われたとおりにやる

教本という自分の先生を見つけたら、その先生の域に達するまで教本にのっとります。
疑問が生じても、それはそれでメモを残してはおくものの、教本にのっとります。

何かがうまく回り始めた手応えを感じてもまだ続けます。
そして、結果が出てくるようになります。

これでやっと基礎工程が終了なのです。

結果が出てくるようになっても抱いていた疑問が解消しないのであれば、そこではじめてアレンジを加えることとなります。

なぜ今そんなことを思ったのか

ブロガーをやろうと思って調べていました。
もっというと、ブログでごはんを食べていけるくらいになろうと思って調べていました。

もちろん、ブログ自体はけっこう昔から書いていましたが、PVとかそんなことは気にせず、ただただ書き捨てていました。
備忘録と称しても、私の役には立ちましたが、それは単なる走り書きにしかすぎませんでした。
それはまるで、友だちに見せても意味の分からないノート・・・といったところです。

Webサービスをつくったときは、ちょっとはPVを気にしていて月間3万PVくらいまでいきましたが、とくにケアはしていませんでした。

閑話休題。
「ブログでPVを気にするのならば、まずは3ヶ月100記事書いてから」というのが共通項であったので、ひたすら書くことにしました。

ひたすら書いて、ブログの主題のテーマの書籍もさることながら、ブログ自体の書き方についてもネットで調べたり本を読んだりしました。
すると、いままで面倒くさいとか思っていたり、関係ないと思っていたものの重要性がだんだん見えてくるようになりました。

「とにかくやれといわれていることをやらないことには、なにもはじまらないし、なにもわからない」を実感した次第です。

学ぶ姿勢がまずいのは、学んだ先が無いとか曖昧とかが原因なのかもしれませんね。あるいは焦りすぎなのかもしれません。
もちろん、情熱なんかなくても学ぶ姿勢が正しければ身につくものです。
気合とか根性は正しいメソッドの上に成り立つものです。
・・・そろそろ、お絵描き練習復活します。
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