(自戒)指摘と論破は修羅の道

指摘と論破がいけないというわけではない。でも、これは積極的にその行動を否定している行為なので、直接的であればあるほど、多くの人にさらされればさらされるほど、その根拠の明文化と正当性が求められることを忘れてはいけない。

ゆめゆめ私怨などで「晒しあげ」をしないことだ。

敢えて繰り返すが、指摘と論破がいけないというわけではない。ただ、その動機が「相手の鼻をあかしてやろう」程度の世俗的などうでもよい虚栄心であるならば、それは「ストレス解消」以上のしっぺ返しが来ることは必至であることを忘れてはならない。

もし、しっぺ返しがこなかったのならば、それは相手が飲み込んだということであり、自分の正当性が証明されたということではない。

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