自分にだけ厳しい?

これは私自身のことを書いて、自分の特性を認知しようと書き付けているものであり、他の人のことを言っているわけではないです。そもそも私はまだ他の人のことを考えている余裕はありませんので。

自分に厳しいというが、多分きっと他人にも厳しいのだと思う。

それは「他人を厳しい目で見ている」ということであり、厳しい目で見た後に「他人だから」と割り引いて出力しているのだと思う。

自分に厳しいというと、ちょっと良いように聞こえるので、正確に言うなら「自分を責める」というところだろうか。なじると言ってもいいかもしれない。

「なんで私はこんなことができないんだろう。」「私はくずなのではないだろうか。」とか色々あるが、「こんなこと」とか「くず」はともかく、できていないものはできていないのであって、それはそのまま受け止めなくてはいけない。自分をなじることによって、「そんなくずなのは本当の自分じゃない」みたいにごまかして受け入れていないと、そもそも地に足をつけた解決はできないということらしい。

また「これができないなんてくず」という基準は、そのまま外に向けられることになる。混み始めた電車の中で、大股開いて携帯をいじっている人がいたとしても、それは「大股を開いていることによって人の行き来を邪魔していることに気がついていないか、気がついていても気にしない人」ということであって、くずかどうかを織り込む必要はないのである。敢えていうならば、行き来を邪魔することで、自分に不利益なことが起きる可能性を大幅に上昇させていることを気がつかない人・・・なのだろう。

「できない人」または「気がつかない人」なのであり、その部分については遅れているかもしれない。でもそれだけなのである。そこに「くず」などという負の感情を入れることによって「思い知らせてやろう」という衝動をいちいち抑えていかなくてはならないのである。

すごいくさいとか音がひどいとか汚らしいなどというこちらに害が直接及ぶことであるならば、距離によっては冷静に注意をしたり、回避する必要があるかもしれない。でも、ちょっと音漏れしていたり、リック背負ったまま車内中ほどで突っ立っていたりするひとを見るくらいでイライラしていたのでは、通勤なんて無理に決まっているのである。

そう、無理に決まっている。お腹痛くなるのはそういうことなんだと思う。

警戒レベルが高すぎるので、もう少し下げる(敵意をもったりしない)ことを努力しつつ、下げても大丈夫な環境を予め用意して、受ける影響を減らすことが肝要かと思う。

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