勉強とか運動のマスター考

なんでも「量はもちろん質も大切」とかいいますが「いやいやマジでそれってホントなの?」と思っています。「ホントなの?」というのは、「その言葉は自分の言葉じゃなくて又聞きでそれとなく納得したから初学者にいい顔して言っているだけじゃないの?」という意味です。

その勉強しようとしていることがもう生活のすべてで、それをなんとかモノにしなくては話にならない・・・というのであれば、同じことだけやっても成長しないよとかそういうのはあるのかもしれませんが、そもそもそれだけやっているのに成長しないというのは、何も考えてないからなんじゃないだろうかと思います。

絵を描くにしても、なにかWebアプリを作るにしても、「もっと良くしよう」と常に考えてないと何をしてもダメなんじゃないかと思います。逆に、もっと良くしようと常に考えているのであれば、あまりいろんなことをしないほうがいいような気がします。

運動だと限界値が分かりやすいのでそれで例えますが、例えば鉄棒の逆上がりの練習なんかは、体がコツを掴むまでなんどもなんどもやりますよね。こう、重心移動のさせかたのコツみたいなものを掴まないといつまでたってもできないし、逆上がりができないうちに大車輪の練習をやり始めても、怪我をするだけで成長は見込めないのではないでしょうか。

絵もほぼ正面の全身図とかがスッと描けないのに、パースのついたアングルを練習しても、空間把握ではなくて妙な手癖がつくだけなのではないかと思います。

いや、絵のことはよくわからないのでこれ以上はいいませんが・・・じゃあ、プログラミング言語にしましょうか。初めてプログラミングする場合は、初めてのなんちゃら的な本を読みながらコードを叩くという、ステップバイステップで覚えていきますよね?でもはじめはどうやって動くのかよく分からないまま、こう、書いてあるとおりにやるみたいなことをするわけです。こういう時期に、よく分からないけど動くなんてことが起きるのですが、この状態で「プログラミングでご飯食べてます」とか言ったら失笑されます。フォーラム(・・・って今は言わない?)で質問したら「出なおしてこい」みたいなことをやんわり言われるのもこのタイプです。

構文の意味を理解していないのは初学者なのだからしょうがないとして、「理解しなくても動けばいい」なんて思っていたら永遠の初学者で頭打ちです。ブログから適当にコピペして動かないと適当なところに「なぜ動かないんでしょう」とクロスポストしちゃう人に、プログラマーとしての明日は無いです。

多分、絵も同じなんでしょうね。「人体やモノの構造とか空間把握とかできなくても、それなりにいい感じに描ければいい」なんて思っていたら、他人の構図の意図も組まずに劣化のパクリになるのでしょう。やっぱりこれも、うまくならないのだと思います。

これさえやっていればうまくなるということは絶対にないですが、うまくなろうと思って考えながら同じことをしていれば、やっていることが同じに見えても全然違う結果になるということです。同じ所で失敗しないように何度も練習するのと、同じ所で失敗しても気にしないで失敗し続けるのとでは全然意味が違うのです。

前置きがえらい長くなりましたが、つまりきっと王道はこういうことなんだと思います。

  1. 初めてのことについては、色んな所から広く浅く知識を入れてきて、「肝要な部分はどこなのか?」「どこからやるのが自分にあっているのか?」を泥まみれになりながら模索します。
  2. ネットの口コミとかではなく、キッチリとした文責のある書籍であったり、ネットであっても信頼のおけるソースを参考にします。抽象的な概念を勉強する場合は、この書籍選びがすべてです。お金をかけて片っ端から読み漁って繰り返して読むべき良書を探すのも、非常に有効な方法です。
  3. 模索をしながら「これを毎日続けよう」ということをピックアップして、何かを掴むために続けます。ただ続けるだけじゃなくて効果的に「掴める」ように工夫をすることも忘れてはいけません。前出の「繰り返して読むべき良書」を毎日繰り返してライフワークのように読むというのがタスクになることもあります。
  4. 総括して仕上げるというイベントが必要です。毎日の積み重ねを一気にまとめ上げることが重要です。運動であれば、レースや試合であったり、創作系であれば作品を仕上げることであったりします。一定の成果を総括してある程度定量化することが、次の課題を見つけてさらなる高みに進むために必要です。

以上、備忘になります。秀才さん以上には当たり前すぎることですよね・・・。

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